主の日の祈り

主の日の礼拝にて

12/7礼拝にて

御子の御降誕の祝いを待ち望みつつ、第二の主の日を迎えました。
御子が与えられたことの大きさを、その大きさのままに喜んでいることができますように。どうぞ、年中行事にクリスマスを終わらせてしまうことがありませんように。
 御子が来てくださいました。飼い葉桶の中に、人々の本当に現実的なうめきのなかを通るように、その生涯を歩んでゆかれました。そのようにして、あなたの顧み、あなたの御手がどこにあるかをお示しくださいました。一週間をふり返っても、ため息をつくことが多く、望みを失うことも多く、恐れや悩みのなかで言葉にならないうめきの声を上げることも多くありました。まことにそのようななかを御子は歩んでゆかれましたから、私どもの正直な歩みにも、まことの神の子が寄り添ってくださっています。どうか、そのことを忘れ去ってしまうことがありませんように。そう祈るは、忘れ去っていることが多いからです。正しく思い起こさせてください。クリスマスのほんとうの喜びを迎え入れていることができますように。
 紛争の多い世界です。お互いの正しさや価値や利益を、身を固くして守ろうとしてしまいます。その人間の固い心は私どもにも覚えがあります。小さな紛争を繰り返している私どもであるはずです。世界の紛争がそうであるように、自分の正しさしか見えなくなっているのかもしれません。自らを正しく省みる心を与えてください。あなたの義で私どもを照らしてください。柔らかな悔い改めの心をあなたの御前に捧げ続けていることができますように。小さくとも平和の努力を、私どもが重ねていることができますように。
 愛する者を失った悲しみに耐えている者がおります。痛みや病に耐えている者もおります。あなたのあわれみを注いでください。
 栃木に派遣されて御言葉の務めを果たしているS勧士を支えてください。同じ主を知る喜びがその教会でも祝われますように。日本の教会に恵みを与えてください。この国の様子を見ますに、どうしてもそうしていただく必要があります。私どもは少数派でも、しかし国のために祈りつづける勇気を与えていてください。
 御言葉と御霊を求めます。私どもの耳を、そして私のくちびるを開いてください。