主の日の祈り

主の日の礼拝にて

2/5礼拝にて

父なる御神
様々な所を歩んでまいりました。守られている幸い、あなたの恵みがどれほど私どもを支えてくださっていたかということを改めて思います。心から感謝致します。御前に、信仰を持つお互いが、再び集まることを許されました。通ってきた所は違います。見てきたものも違います。しかし、あなたの前に一つに集まりましたのは、様々な違いはあれども、あなたが導かれる所が一つであるからです。神の国、あなたの支配が立てられることこそ、私どもの望みです。
そうでない支配をたくさん見てまいりました。混乱があります。何が正しいことか、世に吹く風や揺らぐ波に流されてわからなくなってしまいそうです。しかし、だからこそ、あなたの御前に集うことが大切だと思いました。損得や、時局に左右されず、本当に大切なことを大切にしていたいと願っております。これまでも、なんど、迷いの中で聞いたあなたの御声が、私どもの迷いを解いてきたことでしょうか。どうぞ、今朝も、あなたの言葉で私どもを訪ねだし、あなたの御許に引き戻してください。
世界の教会を強めてください。何が正しい信仰か、神ならざる者を神とする罪に自覚的であらせてください。キリストがお示しくださった愛から迷い出てしまうことがないように、どうか教会を守ってください。自分自身が高くなる喜びではなくて、キリストに従う喜びこそが、教会を捕らえるものとなりますように。十字架のキリストに学び、殉教者達の喜びに少しでも倣い、私どももまた小さな殉教を生きていることが出来ますように。
隣人に仕えることが出来ますように。愛に生きることが出来ますように。失敗にかまけずに、ただキリストの愛に迫られている私どもであることが出来ますように。
病んでいる者達をどうぞ憐れんでください。痛みや不快、苦しみから救い出してください。癒しを与えてください。教団をあげて祈っている教育スタッフにあなたの憐れみを注いでください。
どうか、私どもにみ言葉をください。心の深くを訪ねてください。
主の御名によって

1/29礼拝にて

父なる御神
ただあなたが私どもの父であるという理由だけで、御許にやってまいりました。様々な義務に生きております。人の中で生きるためには損得勘定もありますし、あるいは純粋に人のために生きてもまいりました。しかし、ここにやって来たのはそのどれでもなく、ただ、あなたが私どもの造り主であられ、ここに帰ってくることが私どものふさわしいことであると知っているからです。
一週間、あなたの恵みに支えられて歩むことができたことを感謝致します。いつも先立つ恵みを備えてくださって、私どもが迷い果てているときにも、すでに道を備えてくださっていることを知らされています。けれども、そう知らされていながら、思いがけないことに出会うときに、まるでもうこの先に道がないかのように思いわずらってしまう信仰の弱さを抱えております。主イエスの御側にありつつも、風や波を見て怖くなってしまう弟子たちのことがよくわかるのです。申し訳ないことです。どうぞ、再び、信仰を燃え立たせることができるように、今暫くの間、御言葉を逃さずに聴くことができるようにしてください。御霊を与えてください。御霊に満たしてください。
いったいどこに向かっているのかわからない世界の中に生きてまいりました。しかし、私どもは主によって、御子のお出でになる希望へと進むことを信じています。世と歩調を合わせて、かけがえのない望みまで放り出してしまうことが内容に守っていてください。
世界に平和をお与えください。国同士、そして人間同士が、広く他者のために自らを開くものであることができますように。政治的に責任を負っているリーダーたちを憐れんでください。受けるよりも与えるほうがさいわいであるといわれている真理とは別のところに、幸いをつくることはできないのですから。私どももまた、主に教えられたように生きられますように。どうか、世界中の主の名にある教会が、今日、主の言葉を誠実に受けとめて、歩みをつくることができますように。
病んでいる人々を御心のうちにとめてください。礼拝に参加したいと願いつつも、それが叶わずにいる人々を覚えてください。私どももまたそうした者達を祈りのうちに携えて、御前に出ます。あなたの顧みが豊かに現されますように。とくに、教団をあげて祈っているあの伝道者を、どうか、覚え癒してくださいますように。主の御名によって祈ります。

1/22礼拝にて

厳しい寒さのなか、こうしてなお守られて、御前に集うことが許されました。心から感謝致します。寒さのなかで健康を害している信仰の友もおります。どうぞ、御心のうちに守られて、共々に春の日、イースターを迎えられますように。
また、寒さのなか、受験に取り組んでいる者もおります。精一杯取り組むことができますように。どうか、あなたが歩むべき道を備えてくださいますように。
大雪の中で、主の日を過ごすことになっている教会もあります。献げられる礼拝が、喜びに満たされたものとなりますように、御霊を注いでください。
光なるあなたの前に集いました。世の中に生きていても知ることがないもの、自分で気づくこともないままの自分自身のこころの奥にあるものも、あなたの光で訪ねてください。あなたの光は、どんなに強くても、愛に基づいているのですから、そのあなたにこそ深い信頼をもって、向きを変えている私どもであることができますように。自分自身の正しさや間違いにこだわる拘りを脱ぎ捨てることができますように。正しくしてくださるあなたにこそ、目を注ぐことができますように。
私どもを疲れさせるニュースをたくさん聞いています。始まったこの年が、どんな年になるのか、以前に増して不透明さを覚えている世相です。どうぞ、一喜一憂から救い出してください。造り主であるあなた、贖い主であるキリストの導きを大きく信じさせてください。信仰、希望、愛は永遠だと、告げられています。どんな厳しい歴史の中でも、それを信じて裏切られなかった教会の先達に倣うことができますように。自分の信心の力ではなく、あなたの御霊の注ぎを求めます。信仰と、希望と、愛に生きられますように。
政治的に責任を負っている人々をあなたが憐れんでください。間違いを犯すことがありませんように。世界の教会を強めてください。立場や利害が違っても、主の名にある教会が、どうか一つであることができますように。こうした時代の中で、静かに深く、福音が広がって行きますように。各国のキリスト者たち、とくに伝道者たち、宣教師たちを覚えてください。治療について祈り続けているあの伝道者も、どうか主よ、御心にとめてください。
主の御名によって祈ります。

1/15礼拝にて

天の父なる御神、御前にこうして恐れなく出ることが許されています幸いを、心から感謝致します。キリストのゆえに、あなたを、アバ父と呼ぶことを教えられています。恐れを去って平安と喜びを求めて御前に出ることが、決して間違ってはいないこと、それどころが私たちの平安と喜びをあなたが求めておられることであることを再び思い起こしております。
どうか、今朝、あなたの言葉によって、招き給うあなたをはっきりと知ることができますように。放っておくと、あなたの御姿を怖いもの、私どもの至らなさを責めるだけのものとなってしまいます。あるいは、赦しや愛を少しも心を振るわせることなく、聞き慣れた当たり前のものとしてしまうのです。こうして、あなたの前に出ることができるのが、それほどの幸いかを知らせてください。私どもの罪深さと、それと同時にそれを赦し抜き、愛し抜き、何度でもあきらめずに私どもをあなたの子どもらしい姿へと変えようとなさるあなたの、強い迫りに気づけますように。
他者に思い注ぐこと少なく、自分のことだけに夢中になって、生きてきたのではないかと思い返しております。世界にも自分を主張する言葉が飛び交っております。そのような関わりの中で、亀裂が深まるのではないかと案じております。どうか政治的に重い責任を負っている人々が、その責任を忠実に果たすことができますように。世界だけではなくて、自分自身の関わりおいても、やはり相手を理解しようとすることが少なくあります。私どもを造りかえてくださるあなたの御力を受けとめていることができますように。自分へのこだわりを捨てることができますように。たとえ世界がどうでありましても、きょう、他者を愛して生きることができますように。家族を、友を、出会う一人ひとりに丁寧に耳を傾けていることができますように。
この主の日を、病床で、自宅で過ごさなくてはならない一人ひとりをどうか御心にとめてください。心も体もあなたの御手の中で癒されますように。
教団をあげて祈っているあの伝道者をどうか癒してください。再び働きに戻ることができますように。
主の御名によって祈ります。

1/8礼拝にて

一人ひとりを、あなたが名を呼び、招いてくださった幸いを感謝致します。どうか、その呼び声が、礼拝のなかで――とくにあなたの御言葉と御子を祝う聖餐の中で――暗い心を吹き飛ばすほどはっきりと聞こえ、見えてまいりますように。あなたに名を呼んでいただかなくてはなりませんでした。それほどに、自分自身を責め、深く自分を厭い、あなたの子どもとしていただいているという恵みも、型どおりのものとしてしか受けとめなくなってしまうこともあるからです。普段の生活では隠しておりましても、最も私どもに深く巣くうのは、自分自身の罪といわざるをえません。深く抱え込んで、自分自身でもそれに気づかず、あるいは気づこうとせず、それゆえに理由もわからず、ただただ自分をもてあまし、他者を恐れ、関わりを築けないままに悩みを深めているだけのことになってしまいます。どうか、あなたの光の中で、私どもが本当は何に悩んでいたかということがはっきりとし、深く罪を抱え込んでいる私どもを本気であなたが名を呼んでくださり、「あなたもまたわたしの子だ」というあなたの愛の声を、魂の深くにいただくことができますように。
 年改まるといえども、依然として恐れの満ちている世界です。まじめに考えれば考えるほど、だれ一人として、たった一年の歩みすら明るく見通すほどの光を持ってはおりません。国同士、お互いが恐れ合い、牽制し合い、声高に自国の強さをアピールし合うような様相と言わざるをえません。政治的に重い責任を負っている人々をどうか憐れんでください。かつての戦いの悲惨を自分とは関わりのないものと考えてしまう安易さがあるのならば――戦争もまた選択肢の一つという安易さがあるのならば――どうか、悲しみを自分の国のこととして覚えていることができる冷静さを与えてください。どうか、紆余曲折を経たといたしましても、平和の足取りこそ、前に進みますように。
 世界のキリスト者たち、世界の教会を覚えてください。戦火に追われている教会の人々、信仰の自由が無いままに隠れるようにして主の日を過ごしている教会、あまりにも正しい自分の答えを握りしめ狭量になる教会の人々、すべてのキリスト者たちに今朝、約束の御霊を与えてくださり、現実を上回る現実――あなたがこの歴史を導いておられるという現実――にまなざしが開かれる主の日でありますように。とくに、教会の指導者たち・御言葉の語り手たちをあなたが捕らえてください。堂々巡りにしかならないやせ細った自分の言葉を、神の言葉を正しく語ることで捨て去ることができますように。
 病んでいる人々に癒しを与えてください。とくにあの伝道者とその家族を憐れんでください。うずくまるような心が、ここにあるならば、その心をもあなたが癒してください。主の御名によって

1/1礼拝にて(元旦礼拝)

日ごとに私どもを導き、そのようにして歴史をつくってくださる父なる御神!
 主の年、2017年を迎えました。主と共に時を数えつつ、2017年を経ております。人間がつくる歴史の暗さにも寄り添うようにして、全能の神の支配を現し続けてくださったあなたの顧みのゆえに、御名を賛美致します。ある時には大きく暗く見える歴史の進展のなかで、小さき者たちのうなだれうずくまるような心を丁寧に訪ねていただきつつ、福音は喜びを失いませんでした。それゆえに、今朝もこうしてなおあなたに望みを抱いて、新しい年を仰ぎ見ることができます。時代の混沌にもかかわらず、いいえ、その中にこそ、伸ばされている御手の確かさを、信じることができますように。
 何が起きるか、人間の知恵がたった一年すら、予めつぶさに知ることが許されてはおりません。世界がどういう動向をたどるのか、昨年一年も、だれも想像をしなかったような、人類の道行きでありました。それゆえに、歴史をコントロールし、行方を定めているのは、もはや人間ではないと知ります。混迷を深めてゆく世界を、どうかご覧ください。約束の通り、たゆまず御霊――祈りと御言葉の霊――を与えてください。夜は更け、日が近づいています。闇の業を捨てて、光の武具を着けることができますように。私どもの教会も、世界の教会も、私どもも、世界のキリスト者も、御心を行うことができますように。政治的に重い責任を負う各国の首脳を、どうか、憐れんでください。受けるよりも与えるほうがさいわいである、とお教えくださった主の言葉を心に刻むことができますように。
 公私共々に、心にかかっているあの人この人、あの顔この顔を、どうぞ、あなたの導きのなかに置いてください。また、そのために祈り労することができる私どもであることができますように。とりわけ、肉体を病んでいる一人ひとり、教団をあげて祈っているあの伝道者と、そしてその家族にあなたの確かな御手を延べていてくださいますように。
 心を定め御言葉を聴きます。なにより、み言葉を聴き取る歩みに祝福を与えてください。それこそが私どもの光だと信じているのです。
主の御名によって祈ります。

12/25礼拝にて(降誕祭)

主のご降誕の祝いの朝を迎えております。主の甦りの祝いの朝も重なりました。クリスマスに与えられた主の命が尽きぬ命であったことを思い起こしております。疲れ、病み、老いる肉体を抱えて生きている私どもではありますが、その同じ肉体の中に、甦りの命を持ち込んでくださったお方が、私どもの主であり給うことを心から感謝致します。どうぞ、ここで疲れも病も癒されますように。年を重ねつつも命を生きることができますように。祈り続けているあの宣教師にもあなたの命を豊かに注いでください。癒してください。もとの働きに帰ることができますように。
今年の最後の主の日でもあります。一年を思い返すとき、追いかけてくる思いがあります。守りの感謝と共に、なお抱え続けたまま年を越す様々な事柄があります。思うに任せないことではありましても、どうか、主の御支配、主の御心の中に置かれている事々であることに、心を憩わせ、新しい年に向かうことが許されますように。
世界に平和を与えてください。クリスマスの日曜日を、世界の教会が過ごします。深い喜びが人々を恐れから解き放ちますように。クリスマスを狙ったテロも報じられております。正直、どうすれば、どう祈ればよいのか、わかりません。しかし、主イエスに教えられたように祈ります。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころがこの地に行われますように。平和がきますように。敵意に抵抗して愛を生きられますように。闇に打ち勝つ光を信じられますように。望みを保っていることができますように。とくに、テロの傷跡の中で過ごす、ドイツの教会、エジプトの教会、中東に置かれている教会を、キリストにある喜びのうちに引き戻してください。私どももまた、敵意や憎しみを捨て去ることができますように。紛争に追われ故郷を失っている人々を御心のうちに置いてください。
クリスマスの祝いを共にすることが許されない信仰の仲間たちを憐れんでください。祈りのうちに携えますので、主の御霊が喜びのうちに信仰の仲間たちを保ちますように。
今朝洗礼を受ける二人に、主の命がしっかりと授けられますように。
主の御名によって祈ります。